『微睡の中で(6)』
□始業 その6
いつもと同じ夢。誰かを傷つけた、いや、殺したであろう悪夢。
大きな鉈、黒い血溜り、何もない漆黒。繰り返し見た夢。
・・・本当に同じ夢だろうか?確かに内容は同じだ。
暗闇の中、鉈を持って血溜りを作りながら立ち尽くしている。
だが、見るたびに、どんどん現実味を帯びてきているように思える。
実際、先ほど見た夢(幻覚?)は、現実と区別がつかないほどリアルであった。
疲れているだけ。ただ疲れているだけだ。
そう自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返し、繰り返し、唱えた。
喉が非常に渇いたので、会社に戻る前にコンビニに向かった。
午後の始業時間はとっくに過ぎているが、特に気にしていない。
どうせ、すぐに帰ったところで大した仕事はない。
商業密集地であるため、コンビニには事欠かない。
いろんな会社のコンビニが立ち並ぶ。各店舗はそれぞれの会社経営戦略に従い、
宣伝商品の看板や垂れ幕を入り口に、これでもかとばかりに並べている。
寅之助は最近、緑茶にハマっている。
世間でも緑茶ブームとか騒いでいるが、ブームに乗ったわけではなく、
緑茶ならガブ飲みはできないし、喉の渇きもすばやく潤わせることができるからだ。
銘柄はなんでもいいので、その日の気分で選ぶが、最近は「京都の茶葉」を謳っているものを多く選んでいる。
ペットボトルの緑茶の支払いをレジで終えて、帰ろうかな?という気持ちを抑えつつ会社へ向かった。
会社に向かっていると、サイレンの音が耳につく。
都内にいると、それほどめずらしくないサイレンの音だが、これだけ多く耳にするのは久しぶりだ。
どこかで事件でも発生しているのだろうか?
すでに仕事のやる気がなくなっている寅之助は、現場を除いてやろうと
音が多く集まっているほうへ向かった。方向はフィンチが入っているビルと同じようだ。
パトカーが3台、救急車が1台止まっているのが見える。
・・・フィンチが入っているビルの前に。
フィンチは自社ビルを持っていないので、
大手保険会社が保持している11階立てビルの5F、6Fを間借りしていて、
月々1千万近い金額を使用料として支払っている。
もちろんほかの階には、業種は違うが、いろいろな会社が同じように間借りしている。
ビルの入り口には、黄色いテープが張り巡らされ「立入禁止!」という文字が、空間一杯に漂っている。
どうやらビル全体が封鎖されてしまっているようだ。
いったい、何が起きたのだろうか?
パトカーが来ている(しかも3台!)事故などではなく、どうやら刑事事件が起きているようだ。
「あのう、すいません。このビルに入っている会社の人間なのですが。」
近くの制服を着た警察官に尋ねた。「どこの会社?」
愛想のない奴だ。そう心の中で悪態をつきながら(顔に出ていたかもしれないが)フィンチ、と答えた。
「あ、そう」と、答えた後「おーい、土方。この人フィンチの社員さんだから。」
呼ばれてきた男も制服を着た警察官だ。どうやらこの土方が「案内」をしてくれるらしい。
「こちらです。」と言われ、いきなりビルとは逆方向に進みだした。
「?、社内には戻れないんでしょうか?」と当然の質問を投げかけてみた。
「ええ、今、検察官が色々とやってますから。」と当然のように答えた。
いまいち状況が飲み込めない。
「どういう意味でしょうか?・・・検察官??」
そこで「あっ」と、いかにも忘れていましたというリアクションで、
「そうか、そうですよね。いなかったんですし当然ですよね。あなたの会社で殺人があったんですよ。」
そこのスーパーお安いですよ、きゅうりがお買い得だったわ。
そんな軽い感じだったので、すぐに理解できなかったが、じわじわとその意味が分かってきた。
底なし沼に、ゆっくりと沈んでいくように、足元から「恐怖」が上ってくる。
だんだん、その言葉の意味がはっきりと形を成して、脳天を刺激した。
「・・さっ・・・・殺人・・・?」
やっと搾り出して、声を出した。特にどうってことないですよ、という感じで、土方は軽くうなずいた。