『微睡の中で(3)』


□始業 その3

カフェ「チェスター」は大通りに面したお店で、広いテラスを有している。
雨が降った日には最悪だが、天気の良い日には気持ちのいいお昼休みを過ごすことができる場所だ。
ランチも品揃えが多く、カフェにありがちなパスタランチの他にも、和食セットやラーメンなどがある。
いろいろなメニューに手を出している割には、味はしっかりしているため、お昼休みには行列ができるほどの人気カフェだ。

”フィンチ”のお昼休み開始時間が、近隣の会社よりも10分近く早いため、うっとうしい行列に並ぶことなく
テラスの一番見晴らしのいい席(寅之助は道路とカフェの中間あたりが好きだ。)をすぐに占領できる。

チャイムが鳴ってすぐに会社を出て「チェスター」に入った。
女性店員が「お久しぶりですね。いつもの席空いてますよ。」と声をかけてきた。
寅之助はいつも同じ席に座り、大好きな「きのこパスタ ランチセット」を注文する。
自分でも良く飽きないものだ、と思う。
きのこパスタ、パン2つ、コーンスープ、サラダ、食後にコーヒーがついて、1200円。

仕事が落ちついている時にしか来ないため、頻繁には来店することはできないが、
毎回同じ席、同じメニュー、同じ時間なので、店員も顔を覚えてくれたのだろう。
すぐに先ほどの店員が注文を取りにきた。
「いつもの」と言えるほど度胸はないので「えっと、きのこパスタセットください。」と答える。
店員は満面の笑みで「ご注文ありがとうございます。」といって店の奥に注文を出しにいった。

気が付くと、すでに数名のサラリーマンらしきスーツ姿の男性と、OLが行列を作って店の前に立っていた。
あと数分もすれば、長い行列が出来上がるだろう。ビル郡の景色を眺めるのもいいが、この人間の列を眺めるのもいい。
たまたま会社の昼休み開始時間が早かっただけなのだが、自分ひとりが一番初めに席に付けることが、優越感を味あわせてくれる。
時折、列の中にスーツ姿の綺麗な女性を見かけることができるが、それを見つめるのもまた、素晴らしい。
といって、声を掛けるほどの勇気はないが。

今日も料理が届くまで、いつものように行列を眺めていた。
先日まで続いていた春の気まぐれな突風も治まり、麗らかな春の日差しが気持ちいいためかどうかは分からないが、
いつもより長い行列ができていた。自然と「綺麗なお姉さん」を探している自分に少し苦笑をしていたところ、
きのこパスタセットを持った男性店員がテーブルに来た。彼も名前は知らないが顔見知りだ。
「今日はもう、仕事落ち着いたんですか?」
「ええ、結構ヒマになりました。」
「しばらく顔を拝見しなかったので心配してたところですよ。」
なんとも愛想の良い笑顔をする青年だ。自分と同い年ぐらいだろうか、と今更ながら疑問に思う自分がおかしくて
わらいを堪えて、湯気が立ち上るコーンスープを受け取る。
受け取った皿を自分の目の前に置いたと同時に、サラダ、パンが順に、そして最後にバターが置かれた。
「後ほど、パスタをお持ちしますね。」

すぐさまパンにバターをたっぷり付けてかぶりつく。この店では焼きたてのパンを出てくるのだが、
それを食べれるのは、ランチタイムが始まってから20人ほどしか味わうことができない。
店の奥にカマドがあり、そこで焼いているらしいのだが、手間がかかるために40個前後しか用意できないそうだ。
それが切れてしまうと、買い置きしている市販のパンが出されることとなる。先着20名の特権、というやつだ。
焼きたてのパンの香りが食欲をそそり、一気に2つを平らげてしまった。
その勢いでスープも平らげ、サラダを食べているところで、先ほどの青年がパスタを持ってきた。

「お待たせしました。」
スープの皿を取り、代わりにきのこパスタをテーブルに置いた。きのこの良い匂いが鼻をくすぐる。
細いパスタに白いクリームソースが掛けられ、しめじ、舞茸、ほうれん草、ベーコンが程よく絡み合っている。
「・・・疲れているみたいですが大丈夫ですか?」
ここ数ヶ月は睡眠時間が極端に短かったので、目の下のクマがどす黒く目立っていることが、会社のトイレで確認できた。
「ええ、ずっと忙しかったもので、あまり寝ていないんですよ。」
「そうですか。それは大変でしたね。・・・少し多めにしておきましたので体力回復に役立ててください。」

ありがとうございます。そう答えて、目の前にあるパスタに取り掛かった。
うまい。いつもはパンをひとつ残しておいて、一緒に食べるのが好きなのだが、今日はすでに二つとも食べてしまっている。
失敗した。
きのこパスタは、なにが一番うまいのか。それは、ソースだ。このクリームソースが絶品なのだ。
これを、パンをちぎって、クリームソースにつけて食べる。
パスタを食べ終わった後に、このパンを放り込むことが、至福の時なのだ。

が、今日はすでに二つ食べてしまった。




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