テキスト 『K』



『K』

彼は癌だった。
この夏に、医者から『あと1年持つかどうか分からない』と宣告された。
付き合っていた恋人は、それでも彼を変わらず愛してくれた。
もう死ぬだけしかない自分と付き合っていても、この先にキミの幸せはない、そう何度説得しても、
彼女はかたくなに別れを拒んだ。
「わたしは未来の貴方と付き合っているわけじゃない。今、ここに生きている貴方と付き合っているから。」

−−−その優しさが、彼を更に苦しめることとなった。
愛してくれていることはすごく嬉しかったが、そんな恋人を残して死んでしまうことがとてもつらかった。

仕事は、辞めた。彼は大手不動産会社に勤めていた。
1級建築士の資格を取ったばかりだったが、死ぬとわかってから仕事に意味がなくなった。
自分が癌だと分かったとき、まわりから人は遠ざかった。てっきり、みんなで心配してくれたり、
優しくされるもんだとおもていたが、甘かったと思った。
身寄りのない彼に残されたのは恋人と癌に蝕まれている自分自身だけだった。

ある夜、恋人に別れを告げた。
「オレは君に感謝している。こんなオレを愛してくれた。だから、君には幸せになって欲しいと思う。
オレには君を幸せにするだけの時間がない。たとえ出来たのしても、それはほんのわずかでしかないんだ。」
恋人は泣いた。
「貴方の気持ちよく分かった。貴方はいつも人の心配ばかりだったね。
でも、残りの時間は自分の幸せも考えて。私からの、最後のお願い。。。」

荷物をまとめ、少しはなれた街に引越しをした。幸いお金には困らなかった。退職金と保険金入ったからだ。
癌の診察書を保険会社に提出すると、多額の保険金が口座に振り込まれた。
3年は普通に暮らせるだけの金額だ。・・・3年も生きられればの話だが。
退職金は恋人に送るつもりだ。お金が全てではないが、あって困るものでもないだろう、と彼は判断した。
遺書は弁護士に渡してある。弁護士にはここの住所を教えてある。死んだことが分かったときに遺書を実行してもらうことになっている。

彼は、画家になるのが夢だった。美術大学にまで進学したが、途中で夢を断念した。
その理由は、自分には生活していけるほど画家としての才能がないことが、彼にはわかっていたから。
−−−今は生活していけるだけの蓄えがある。それに残された時間はわずかだ。だから、夢を追いかけることにした。

引越し先は、繁華街のすぐそば、汚い路地裏に立つアパート。
静かなところより、喧騒がある場所のほうが、”生”を強く感じることができると、彼は考えた。
小さなアパートの小さな部屋には、冷蔵庫、扇風機、イーゼルとキャンバス、そして油絵道具だけ。
昼夜問わず、繁華街を徘徊し、心に留まったものを書き起こす。そんな生活が続いた。
引っ越してきてから数週間が起ち、街はすっかり冬をむかえていた。
彼は、街の風景画からビール瓶まで描いたが、すべて暗い色合いで描かれた。すべて”死”を連想させた。

ある冬の寒い夜、いつものように繁華街を散歩していた彼は、いっぴきのネコを見かけた。
そのネコは、ガリガリに痩せこけた全身黒い毛で覆われていた。
首輪をひと目見たとき、それが恋人の飼っていたネコだと分かった。
白いベルトに真鍮の鈴が付いていて、黒い身体に綺麗なコントラストを出していた。

「名前・・・なんだっけな・・・?」そう、ひとりごちながら、彼は走り出していた。当然ネコは逃げ出した。
人間とネコの競争では、人間に勝ち目はない。
が、彼はネコのクセを覚えていた。入り組んだ路地を兎に角まっすぐ走るネコを横目に、彼は右の路地に入り込んだ。
そして先ほどの路地の突き当たりのT字路の右側で、両手を広げて待ち構えた。
待ち構えてしばらくすると、黒猫が広げた両手の中に飛び込んできた。彼は予想があたり微笑んだ。
恋人の飼っていたネコは、突き当たると必ず右に曲がるクセを持っていた。

抱きしめたネコはしばらく両腕のなかで暴れていたが、しばらくするとおとなしくなった。
おとなしくなった、というよりも、ぐったりした感じだ。暴れる体力がもうないのだろう。

そのままアパートにつれて帰り、すこし暖めた牛乳をお皿にだして離してやった。
すぐさま部屋の隅っこに逃げ、背中を丸めて「フーッ」とうなっていたが、食欲には勝てなかったようで
しばらくして牛乳をベチャベチャと勢いよく舐め始めた。
恐る恐る手を伸ばして頭をなでてみたが、舐めるのに夢中で頭をなでられている事に気が付いていないようだった。

小さなアパートには、暖房設備が無かった。
彼は暖房をつけるつもりは無かったが、黒猫のタメに用意してやることにした。
といっても、ちいさなストーブと湯たんぽを用意しただけだった。

ネコは湯たんぽが好きだった。

しばらくネコは、彼の周囲には近寄ってこなかった。エサを部屋の真ん中においておくと、そっと食べに来た。
その姿を遠くから眺めながら、黒猫の絵を描いた。
寒い日にはストーブを付けて温まったが、小さいストーブなので、そばに置かないと暖かく感じなかった。
その為、黒猫はストーブには近寄りたいが、彼には近寄れない為に部屋をウロウロするだけだった。
見かねた彼は、寝るときに使っていた湯たんぽを、部屋の隅っこにおいてやった。

初めは恐る恐る近づいて、つめで数回引っかいていたが、しばらくするとその上で丸くなっていた。
これから先、湯たんぽは黒猫の寝床となった。

彼は何枚も何枚も、黒猫を描いた。つれて来たときには気が付かなかったが、体中に傷跡があった。
そういえば恋人が「ネコが近所の子供たちに『悪魔の使い』と言われ、いじめられている。」と嘆いていたことを思い出した。
恐らくこの街には、その子供たちに無理やりつれてこられたのだろう。
ネコは、それぞれテリトリーを持っている。そのテリトリーにはめったなことがない限り、他のネコが入ることはない。
命がけの喧嘩にまで発展することがあることをネコたちはしっているからだ。
そのテリトリーを人間によって越えさせられたとき、ネコは住処に帰る術をなくしてしまう。
帰るということは、他のネコのテリトリーを侵すこととなり、それは命を落とすかもしれないからだ。

それから数週間が過ぎクリスマスを迎えた。黒猫も生活に慣れ、少しだが近くに寄ってくるようになっていた。
彼は黒猫に名前をプレゼントすることにした。元々の名前があったはずだが、まったく思い出すことができず、
かといって名前が無いのは不便だった。
「今日はクリスマスだから、きよしこの夜からとって、おまえは聖なる夜『ホーリーナイト』だ。」
安直に決めてみたものの、頃が悪く呼びづらいので、結局「リーナ」と略して呼ぶようになった。
その頃には、名前を呼ぶと近くに寄ってきてひざの上に乗ったり、背中にとびついたりするようになっていた。

やがて春を迎え、そして夏になった。−−−癌を宣告されて、1年が過ぎようとしていた。

死の兆候は少しずつ出ていた。食欲はなくなり、顔は痩せこけ、倦怠感が何日も続くときもあった。
最近では、一日中、咳が止まらなくなったり、尿や痰に血が混ざることもあった。

『一年持つかどうか・・・。』 そういわれたが、結局1年持ってしまった。
「リーナ、おいで。」
そう声を掛けると、黒猫は湯たんぽの上から移動してきて、彼のひざの上に飛び乗った。
黒猫の頭をなでてやると、嬉しそうにゴロゴロと鳴いた。

そして月日が流れ、また雪が降る季節になると、布団からでることすら出来なくなるほど衰弱しきっていた。
食料は買い込んでいたカップラーメンやビスケットなどで過ごしていた。
食欲がなくなり、舌がしびれて味も分からなくなっていたので、一日ビスケット数枚で十分だった。
医者に言われた期間よりも半年以上生きながらえることができてしまった。

もう死ぬことは怖くなかった。しかし、心の頃はあった。それは、恋人のことと、この黒猫のことだった。
恋人宛てに手紙を書いた。指に力が入らないので、あまりうまくかけなかった。

『貴方が探していた猫を見つけました。名前が分からなかったので”HOLLY NIGHT”と名づけました。
私の事を忘れて幸せになって欲しくて、貴方の元を離れたのですが、この黒猫を見ていたら貴方を思い出してしまいました。
正直、死ぬのは怖かったのですが、不思議なんです。この猫といるととても落ち着くんです。
まるで貴方がそばにいるようで、幸せな気持ちになれるんです。』

ココまで書いて、ペンが止まった。
「少しつかれたな・・・。続きは明日書くか・・。ま、書いたところで誰も届けることはできないんだけどな。」
フフっと苦笑する。湯たんぽの上で丸まっている黒猫に向かって、「おまえがとどけてくれたらな。」と言ってみた。
彼には黒猫がうなずいたようにみえた。すぐさま、そんなはずはないと思い、また苦笑した。
彼はそのまま深い眠りにへと落ちていった。深い、再び目覚めることのない眠りへ。

小さなアパートの小さな部屋には、黒猫の油絵が散乱していた。
黒猫とは思えないくらい、とても明るい、美しい絵画だった。



Bump Of Chicken の 2nd Album「THE LIVING DEAD」の「K」という曲を裏読みしてみた。
貧乏で死亡っていうのを、癌で死亡、という感じに変えてみたけど、やっぱりしっくりこない。(;´Д`)
売れない画家の割には、2度目の冬を過ごすぐらいの生活は出来ていたようなので、絵画は趣味で社会保護で生活していることに。
どういう理由で社会保護を受けるようになったか考えていたら、アリコのがん保険を思い出して、癌保険が入ったことにした。
生命保険だったら、癌で500万円くらい受け取れるから2年くらいは軽く生活できるかなぁ、と。(´∀`*)ウフフ